4月25日水曜日  雨のち曇り

 

どうも、最近ご無沙汰してます。

引越しのゴタゴタも片付き、帰途の坂道にも慣れ、あと春休みの課題がもうちょっと。今はそんなところです。

鉄研の活動は今更になって色々あって、もっと考えたり作ったりする必要が出てきました。新聞部の方も翠巒祭號が輪郭を見せ始め、出来ている所はいいのですが遅れている所が見えてきたので、ヤバめな現況を理解し始めた感じです。最近はもう学校を出るのが910時になっていますし、夜起きてるのは平気なんだけど朝起きるのが無理に近いっていう状態です。それだから残り約1ヵ月の部活生活は良くも悪くも「充実」しそうです(もう既に「溢れている」気もしますが・・・)

 何度でも言いますけど、「今からこんな状態で、翠巒祭直前になったら私(の生活)は一体どうなるんだろう」ね。…やっぱ「5徹」ですかね。バリバリ現役高校3年生のくせして、あの先生みたいな根気と体力はないんですが。そう考えると尊敬に値しますね。あなすごし。

 とにかく、私は今いい意味で「青春」してることは確かです。

 

 

さて、そんな中で今日は、現段階で物凄く言っちゃいけないようなことを敢えて言ってみようと思います。つまり、

 

「後悔しない」って無理だと思うんです。

 

勿論、全力を尽くします。全力を尽くした上で更に、無いはずの力をどこかから持ってきて使うくらいはする心積もりです。

でも、100%完璧な人間はいないから。人間は進歩するものだから。正確には、体や知識がいずれ朽ちようとも、積み重ねた経験が失われることはないから。そのときよりも後の時間から見て、過去の自分は反省点の塊です。だから絶対に思っちゃうんです。「今やればもっと巧くできたのに」「今ならああすればこうなると想定できるのに」って。例えば、自分でこのコーナーの過去日記を読んでみると、「これじゃあ私が本当に伝えたかったことがジョークに隠れて真意が伝わらないじゃないか」「余計なことを言いやがって、こういうことを言うから敵が増えるんだ」と、当時の自分に対して憤るわけです。でも当時の自分としては「こう言ったら面白いだろうな」「これで言いたいことを一番巧く表現できた」と感じているわけです。どうしたって未来に学習する分を今この瞬間に先取りすることはできないのですから、それはある意味当然のことです。

でも、「当然だから」と言ってしまってはなんとも味気ないけれども、満足できないからといって過去や過去に由来する事実は変えられない。確かにネット上の情報ならワンクリックで削除できますが、こちら側で情報を消しても、既にこのページを見た人達には「高高鉄研の部長じゃない方の3年が何かホザいてた」という記憶が残っている(だからネットは怖いわけで、根源を断っても情報が流れ続ける点では、ちょいとだけWinnyの情報リークと似てる気もしますね)。それが自分から相手への情報伝達における「媒介」としてのネットの当然の働きであり、媒介が存在してしまうが故に生じる見えない壁が、情報の発信者による受信者への介入を、いい意味でも悪い意味でも防ぐのです。第一、情報を一旦は流したという事実を、私自身が誰よりもよく、痛いほど知っています。これは他人どころか自分さえも干渉できない不変の事実です。

そういうわけで、ネット上で私がこのコーナーをやっているのも、ひとつは自分の発信する言葉達を受け取ってくれる相手の人達が存在しているからです。単に「鉄研の活動」を増やす、色々やってるように見せるため、という捻くれた考えじゃない。見てくれる人がいるから(もっと言えば、たまに感想を聞かせてくれる人がいるから)責任を持って続けていることです。誰も見ないのに眠い目をこすって文字を打っている自分を想像すると物寂しいものですし、放たれた言葉達がかわいそうです。あと、わざわざそれをアップする部長氏もかわいそうです。

だからどうして、過去は絶対です。そうでなければ歴史の意義が崩壊しますし、過去に基づいているもの、即ち現在も崩壊します。同様に未来の幻想も崩落します。

このように人間の進歩の可能性と不完全性が相まって、「後悔しない」ということには難攻不落の矛盾が孕まれています。

それでも人が「後悔しない」ことを標榜し続けるのは、やはり「目標は高い方がいい」ということでしょうか。でもここで、前向きというよりは寧ろ上向きな考えで理想を唱え続けても、実際に何もしない理想論者になってはいけませんよね。何かしなければならない。その上で、達成されることのない「後悔しない」という崇高な夢をしかと見据えて人は今日も頑張るしかないのです。その点、「平和」だとか「いじめ根絶」だとかと同じだと私は思います。

 

……なんて書いてたら、また午前3時をまわってしまいました。久しぶりの更新なので文系チックなことをつらつらと、暇でもないのに書いてみましたが、見直してみるとなんかイミフですね。いいことを言ってるようなんだけど、何が言いたいのかわかったかと問われるとう〜んと詰まってしまうような。やっぱり眠いと創造的なことが出来ないです。…それって鉄研や新聞や弁論や映研としては致命傷なんじゃないのか?(自問)

 

 

 そんな、『もうここに書くような「あとがき」チックなネタは部誌に載せる分で手一杯なんだよぉ!』っていう4月25日でした(多分今思いつかないだけで、探せばいくらでも「面白い矛盾」は転がってると思うんだけどね)

 

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