10月1日月曜日 雨

 

 

今日は定期戦の代休です。定期戦自体がどうだったかというのは他の人々も「!」をいっぱい使って紹介なさっていますが、要するに勝ったわけですね。

 でも個人的には、正直「ジンクスを破ったこと」はどうでもいいんです。マジで。寧ろ、「91-89で勝ったこと」により大きな価値があると思う。

 

私の世代が2勝1敗と勝ち越した、特に主体となる3年目の定期戦で勝った。このことは確かに意味があると思います。しかし、「高高の歴史」「高前定期戦の歴史」において価値ある功績を残したということに、私は充足を覚えません。定期戦の回を重ねること。それは過去に他の人々も毎年やってきたことで、その中にはやる気ない人だっていたはずです。過去十数年間の高高前高生がどうであったかということに拘って(それと比べて)自らの「偉業」「成果」とすることは、何かズルい感じがしてしまいます。そう感じるのは言うまでもなく私だけでしょうけれども。

1点が動く」ということは、「2点差が付く」ということです。そして、今回の定期戦の競技において、1点を争奪するものはなかった。つまり、競技毎に更に学年別(チーム別)と細分化された中で試合をするわけですが、そのいずれも4点以上の差がつくものであり、何れか一つで負けても結果は逆転していたということです。

ただ勝ったということではなく、過去の先輩方と一線を画することを成し遂げたということでもなく、 全 員 で 勝ちを獲ったということ。ここにこそ、私は今回の定期戦の勝利を納得して受け入れられるポイントがあると思うのです。

 

 あんまりジンクス破りを貶めるのもアレなので言い訳しておきますが。

 ジンクスはある意味で「伝統」です。「これまではそうだった。だからこれからもそうする」という大義名分。ある程度までの輪郭が出来上がったら、後はそれに従うだけで毎年やりくりできる便利な雛形みたいなものです。だからこちらも当初は、正直「どうせアウェーだから負ける(負けてもいい)」という雰囲気も少なからずありました。前高、駅から遠くて歩くだけで疲れるし。

 しかし、高高は勝った。ジンクスを破壊することは平穏を乱すことです(定期戦自体はまったくもって平穏なんてものじゃないですが)。今、言うなればカオスの状態。

 だから「定期戦の歴史」において、今年勝ったことが本当に意味を持つかどうかが決まるのは来年以降です。

 来年負けて「2007からは『ホームで勝てない』というジンクスに変わっただけだった」なんてことになったら私達の「勝ちの価値」の歴史的意義はあまりにも小さなものになってしまいますからね。

 

 

 

そんな101日でした。そういや今日で私も華の18歳です。ウハウハ・・・かなぁ。。。。。

 

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